情熱!農業人独立ストーリー 独立支援プログラム先輩たちの道のり8 第13期生 須藤崇物語「あきらめない想いを胸に、着実な歩みを」

人生を決めた出逢い

須藤崇さんの昭和村のレタス畑
須藤崇さん
須藤さんが2011年に出会った、野菜くらぶの毛利嘉宏さんと
出会いから14年後。見事なレタス畑で

須藤崇さんは、群馬県東部の山間地にある利根町と、赤城山山麓に広がる昭和村で、レタスやミニ白菜などを育てる農家です。出身は青森県木造町(2005年、合併してつがる市となる)。米農家に育ち、5月の田植えの時期には仕事を手伝うなど、小さい頃から農業に触れ親しんできました。社会人となり、農業とは離れた暮らしをしていましたが、野菜くらぶとの出会いが、人生を決める大きな転機となりました。

須藤さんが大学に進学し、卒業後就職したのは、農業とは関係のない都内のテレビ制作会社です。仕事は過酷で、休みもあまりとれないような生活が3年間続きました。体力的にも精神的にも疲れ果てその職場を離れ、その後、4年ほどフリーターをします。簿記の2級の資格を取得し、将来の進路を考えていました。

そんな時、東日本大震災が起こり、都内で震度5強の地震に遭います。2011年3月のことでした。それ以前に、関西で甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災がありましたが、発生した1995年には青森県に住んでいたので、須藤さんはこれほど大きな地震を経験したことはありませんでした。「電車が止まり、その時にいた池袋から自宅がある中野へは、歩いて帰りました。さまざまな被害状況を知るうちに、生まれて初めて、自分の将来に大きな不安を感じるようになりました」

須藤さんは1982年生まれ。1990年代初めのバブル崩壊後、経済的不景気により就職難となった就職氷河期の世代に当たります。30歳を前にこれからの生き方を考えました。「転職は難しかったため起業を考えましたが、これから起業のためのさまざまな資格を取るよりも、運転免許さえあれば青森に帰り農業ができると思い、準備のために農業に関する書籍や雑誌を探し読みました」。その時書店でみつけたのが、野菜くらぶの創業者で、代表取締役社長の澤浦彰治さんが著した「農業で利益を出し続ける7つのルール」という書籍でした。昭和村の一農家だった澤浦さんが、こんにゃく芋の加工や有機野菜の栽培に取り組みながら「野菜くらぶ」を立ち上げた経過と、安定した経営ができる農業を続けるための理念と実践などが紹介されています。

その中で、新規就農を目指す人を支援するために野菜くらぶが2001年に始めた、「独立支援プログラム」で研修した1期生の山田広治さんが紹介されていました。山田さんは研修後就農し、青森県黒石市で農業を営んでいます。須藤さんは、澤浦さんの農業に対する明確なビジョンに魅かれるとともに、郷里の青森県で農家をしている山田さんに親しみを感じ、池袋で開催された「新・農業人フェア2011」に参加しました。そこで出会ったのが、野菜くらぶの専務取締役、毛利嘉宏さんです。毛利さんは須藤さんと面談し、昭和村での農業体験に誘いました。

背水の陣を敷いて

毛利さんによると、農業人フェアで農業をやりたいと訪ねて来る人は、経験がなくイメージだけを持ち参加する人が圧倒的に多いそうです。「晴耕雨読と言われますが、決してそうではありません。一度体験してください、と言って農場に来てもらい、実際の農業体験をしてもらうと、その後ほとんどの人が来なくなります。何回かの農業体験をし、リタイアしないで最後まで農業に就きたいという強い意思を持った人が研修に入ります」

須藤さんは昭和村の竹之内光昭さんの畑でレタス栽培の実習をしました。竹之内さんは、野菜くらぶの取締役で独立支援プログラム担当役員であり、多くの研修生を受け入れてきた経験豊富な農家です。彼の農場で、朝の収穫、畑の管理作業など、レタス栽培の一通りの作業を経験しました。中でも一番大変だったのはマルチ剥ぎです。マルチは土中の温度を保ち、雑草が生えないように土を覆うビニールです。須藤さんは夏の暑い日に、マルチをはがす作業をひたすら続けました。「マルチは重く重労働でしたけど、これからの仕事を決めるラストチャンスだと思いながら農場へ通いました」。こうして、そのまま竹之内さんの農場で独立支援プログラムの研修を受けることになりました。

野菜くらぶの独立支援プログラムは、原則1年で、2年まで受けられます。その間は正社員として雇用され、社会保障も整っています。須藤さんは恵まれた環境で2年間の研修を受けました。1年目はひたすら農作業をし、1年間の生産の流れや段取りなど、農家としての働き方を体で覚えました。また、独立後は経営者として従業員を雇うことになるので、複数人数での作業の段取りの仕方も習いました。

2年目に入り、夏の間1か月間、青森県黒石市でレタスを栽培している山田さんの農場へ研修に行った時のこと。郷里の青森で就農しようとしていた須藤さんは悩んでしまいました。群馬では5月から10月までレタスの収穫ができましたが、青森は寒くなる時期が早く、積雪も多いので、6月から10月初めぐらいまでしかレタスの収穫ができません。収穫期間は2か月も短くなります。「実家が農家とはいえ、野菜くらぶと出会うまでは農業とは縁のない生活をしていました。就農のための研修期間もまだ1年を過ぎたぐらいで、栽培技術も十分とはいえません。その時はどうしても失敗した時のことばかり頭に浮かび、成功するというイメージがわきませんでした」と須藤さん。悩んだ末、就農は群馬県で、と決めました。

波乱万丈の1年間

新鮮なレタスに包丁を入れる
手になじんだ収穫包丁は、大切な相棒
とれたてレタス

群馬県昭和村は、農業が盛んな地域です。戦後、未開の地で開拓が始まり、入植した人たちは厳しい自然条件の中で農地を切り拓きました。その精神は今でも生きています。後継者が育ち、耕作放棄地もなく、赤城山山麓に高原野菜の畑が広がります。須藤さんは耕作地を探しましたが、空いている土地が見つかりません。レタス栽培に適している冷涼な場所を探したところ、野菜くらぶがある赤城原から30キロほど離れた山間地の利根町に空いている畑があると情報をもらい、2014年にそこで就農しました。

ところがスタートしてすぐの2月に大雪が降ります。1月から種まきをしてハウスでレタスの苗を育てていましたが、ハウスが全部倒壊してしまいました。なんとか無事だった苗を運び出し、新しく組み直したハウスで育てたのです。

その年は、利根町では遅くまで雪が残ったので、関東平野の端に当たる前橋市大胡町に土地を借り、レタスを栽培しました。そこは畑地ではなかったようです。研修先の竹之内さんに教えてもらった肥料設計をそのままあてはめて肥料を使ったところ、レタスは育たず、小さいサイズのものしか出荷できませんでした。渋川市の子持にも畑を借りることができましたが、収穫を始めて数日後に雹が降り、外葉に穴が開いてしまいました。外葉をはがし、内側の玉だけの色の薄いレタスをどうにか出荷できました。

このような1年目、須藤さんは種まきから出荷までのすべてを一人で行いました。機械もなく、2ヘクタール分のレタス14万株を、全部手作業で植えました。収穫も専門の収穫包丁を使います。当時は経営的に安定させようとすると、5ヘクタール分の生産が必要でしたが、とにかくやれるところまで一人で頑張りたいと雇用はせず、一人、黙々と畑仕事を行いました。「まだ経験も技術もなく、なかなか効率的に動くことができなくて、肥料まきや農薬散布もうまくいかず、対策が後ろ手に回り、虫に食われたり、生えてきた草に負けたりと、出荷が満足にできたとは言えない状態でした」。それでも、「人件費がかからない分、どうにか赤字にはならず、年を越せました」と振り返ります。

そんな一生懸命な須藤さんを見ていると、周りの人たちはつい、助けたくなるそうです。「野菜くらぶの農家の宮田徳彦さんから苗を作るためのハウスを借りたり、井上嘉輝さんからは畑を借り、忙しい時には機械も借りるなど、いろいろな人たちの支援がありがたかったです」。こうして須藤さんは、新しい人生をスタートさせました。

自信を胸に

冬の間は、レタスの苗が凍ってしまわないように、ハウスの中でも保温材をかけます、
定植間際のきれいに揃ったレタス苗
順調なレタス苗
5月末の、昭和村のレタス畑

須藤さんが利根町で農業を始めてから、あっという間に11年がたちます。昭和村と利根町にある耕作地は7ヘクタールに広がり、6台のトラクターをそろえ、収穫などの手作業が必要な繁忙期には、5人のパートさんを雇うようになりました。野菜くらぶから、農繁期に特定技能の派遣社員2名にも来てもらい、レタス、サニーレタス、キャベツ、ミニ白菜を栽培しています。地元の農家の人たちにも顔と名前を覚えてもらい、今では、「畑が空いているから使う?」と声をかけられるほどです。

それでもまだ慣れないことはあります。野菜くらぶへは、朝8時までに出荷しなくてはなりません。そのため、まだうす暗い4時頃から収穫を始めます。「自宅がある利根町から昭和村のレタス畑までは車で1時間ほどかかるので、夜のうちに出発し、トラックで仮眠をとることもありますよ」。出荷時間に遅れないか心配なのだそうです。

11年の間には気候がだいぶ変わったと肌で感じています。気温が上がり、昭和村より100メートルほど標高が高い利根町でのレタス栽培も、だんだん難しくなっています。一番困っているのは獣害です。利根町の畑は山間地にあり、シカ、イノシシ、サル、クマと、さまざまな動物がやって来ます。クマの足跡は大きく、通り道にある畑はマルチを踏まれ、破れたところから雑草が生えたり苗がいたんだりしてレタスが育ちません。サルは、植えたばかりの苗を抜いて遊ぶことがあります。被害はそれほどでもありませんが、一昨年は猛暑で雨が降らなかったせいか、20頭ぐらいの群れでやってきて、20アールほどの畑のレタスを食べられてしまったのです。サルがレタスを食べるとはと、他の農家もびっくりしました。

レタスの収穫は5月から始まり10月まで続きます。タネをまき苗を育て定植しますが、気温が高くなるにつれて苗の成長が早くなり、定植までの期間が短くなります。絶え間なく収穫できるように、何十種類もの品種の中から、その時期の気象条件に合い、病気に強いタネを選び、緻密な栽培計画を立てます。須藤さんにとって、野菜を栽培することも人を雇うことも何もかもが初めてでしたが、ひとつひとつの作業にていねいに向き合い、さまざまな経験を積み重ねてきました。今では、群馬でレタスを栽培する生産者が集まるレタス部会の部会長を務めています。自信にあふれた、野菜くらぶの一員となりました。

明日を見据える須藤崇

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