情熱!農業人独立ストーリー 独立支援プログラム先輩たちの道のり9 第19期生 武浩之物語「農業を仕事に、という夢を一筋に」

あきらめない就農への想い

香り高い茶豆
標高高く景色の良い茶豆畑
生育順調なブロッコリー苗

武浩之さんは、就農する前は、農林水産省に努める国家公務員でした。埼玉県さいたま市に住み、毎日2時間をかけて、電車で都内の霞が関まで通勤していました。群馬県沼田市の、山々に囲まれた田畑が多い土地で生まれ育った武さんにとって、日々眺める都会の風景は、何か物足りないものでした。いつかは自然に囲まれた場所で農業に就きたいという想いを抱えながら働き、就農の準備を進め、現在は、沼田市の隣町のみなかみ町で、農家としてブロッコリーや茶豆を栽培しています。

武さんが農業を仕事にしたいと思うようになったのは、高校卒業を前に、将来の進路を考えた時です。小さい頃、祖父の畑仕事を手伝ったことが楽しい思い出として残っていました。自然科学の勉強をするのが好きで、特に植物に関心を持ち、細胞の働きや遺伝子について学ぶ生物が得意でした。体を動かす仕事も嫌いではありません。農業は食料を生産する大事な仕事であると考えた武さんは、卒業後は農業に就きたいと父親に相談しました。「けれど、市場で働き、日々、野菜や生産農家と接する仕事をしていた父には、農業をゼロから始めるのは大変だぞ、と言われました」

誰でもすぐに農家になれると思っていた武さんは、そうではないと気づきました。「でも父は、1回勉強して来い、と言ってくれたのです」。そこで北海道にある農業関係の短期大学に進みます。環境保全型の農業を教えている先生の元で、農学を学びたいと選んだ短大ですが、行ってみるとそこは、就農する前の農家の子たちが集まり学ぶ学校でした。

北海道の大農家の同級生のさまざまな話を聞くうちに、武さんは、自分には農業は無理だと思うようになります。自分の家は農家ではなく、農業を始めるための土地も資金も経験もありません。それでも、農業を仕事にする、という夢をあきらめきれず、思い直して就農するための勉強をしました。農業を始めるためには知識や技術も必要ですが、まず資金が必要であることを知り、就職して貯金をすることに決めました。

農林水産省に就職

手触りで苗の様子を確認する武さん

就職先では学んだ農学を生かした仕事をしたいと、農業技術普及指導員を目指しました。農薬の使い方や害虫の対処の仕方を、農家に指導する仕事ができたらと思っていたのです。しかし、それには「普及指導員」の国家資格が必要で、受験するには大学卒業が条件でした。

短大卒の武さんは指導員をあきらめ、他を探したところ、国家公務員試験は大卒でなくても受けることができ、武さんにも十分に受験資格があることがわかりました。猛勉強をして短大卒業後に受験し、見事合格します。ほとんどの同期の受験生はまだ学生で、合格しても採用されるのは次の年の4月です。武さんは卒業しているのですぐに農水省に採用され、年度途中の10月から勤務することになりました。当時20歳の若さでもあり、かなり異色の存在だったようです。

それから9年半の間、武さんは農業に就きたいという気持ちをあたためながら、農水省で仕事をします。国家公務員という安定した職業でしたが、いつかは就農する、という夢は最後までぶれることはありませんでした。「毎年コツコツと貯金をしましたよ。目標額に達しましたが、最後はレトルトカレーを食べる毎日でした」と笑います。30歳を前に農水省を離れ、いよいよ就農へと向かいます。

野菜くらぶと、再びの出会い

脱莢機の周りは茶豆独特の香りに包まれます

武さんは、まず、農業を始める場所を探そうと、あちこちを回ります。群馬県昭和村にある野菜くらぶを訪ねたのは、短大のインターンシップで農業体験をした経験があったからです。短大生の夏休みに、野菜くらぶの関連会社、グリンリーフで、社長の澤浦彰治さんや、当時会長を務めていた、彰治さんの父親の廣治さんといっしょにニラやラディッシュを作りました。その後、大特(大型特殊)の免許も取得することができ、あたたかい雰囲気の中で、とてもよくしてもらった記憶が残っていたのです。

そのような学生時代の印象もあり、迷わず、野菜くらぶの独立支援プログラムに応募します。当時は、一期生の山田広治さんが就農し、青森県黒石市でレタスを栽培していました。山田さんは神奈川県出身で、農業とは全く縁のない環境で育ちましたが、そんな彼をこだわりなく受け入れる野菜くらぶに好感を持ったことも、応募した理由のひとつでした。

専務取締役の毛利嘉宏さんが、「野菜くらぶには、独立支援プログラムの研修生を受け入れる際に3つの条件があります」と言います。「ひとつは、就農後は野菜くらぶの生産者のメンバーとなり、生産した野菜は野菜くらぶに出荷することです。これは、独立支援プログラムは仲間づくりが目的のひとつであることと、農家が経営を成り立たせるためには、農産物の販売先を確保しなければならないからです。野菜くらぶが販売を担い、農家は農業に専念することができます。また、経営は個人事業主でも問題はないのですが、法人格として運営することを進めています。2つ目は、原則として野菜くらぶの拠点地域で就農することです。これは、農産物は収穫後の品質管理も重要で、野菜くらぶが施設投資をしている地域に就農することで、その課題もクリアーします。そして3つ目の条件は、これが一番大切で、一定額以上の貯蓄があることです。独立して農業を始めるに当たり、機械を購入したり、土地を借りたりするための資金があることは必須の条件です」

武さんは就農するために、9年半の間農水省で働きました。十分すぎるほどの貯蓄を携えて、野菜くらぶがある昭和村へ向かいます。

いよいよ就農へ

外国の方も活き活きと働いています
みんなお揃いのつばさふぁーむのTシャツ
丹精込めて作られた茶豆

昭和村では、まず、竹之内光昭さんの畑で白菜を収穫する実習をし、独立支援プログラムの研修に入りました。研修先の農家は、みなかみ町で茶豆とブロッコリーを栽培している宮下義明さんと、沼田市でブロッコリーを栽培している加藤昇さんでした。茶豆は、枝豆の中でも独特の味と香りを持つ風味の良い豆です。

武さんは、農水省時代から、就農後に生産する作物について考え調べていました。そこで将来栽培しようと決めていた作物が、枝豆とブロッコリーです。枝豆は全国的にみても、群馬県の生産量が多く、また、枝豆を植え付ける機械や、マルチを張る機械は、ブロッコリーを作る時にも使えます。偶然にも、希望していた作物を作っている農家に出逢い研修を経て、2015年に就農しました。

野菜くらぶの独立支援プログラムの研修期間は、原則1年、長くても2年までです。武さんは、「自分は早く独立したいと思っていました。一人なら失敗しても、それほど他に迷惑が及ぶことはありません。一人でたくさん失敗を経験しながら、上手に栽培できる方法を身につけたかったのです」と1年で研修を終え、みなかみ町に土地を借りて農業を始めました。

「その頃、野菜くらぶに茶豆を出荷していた生産者がやめてしまい、不足した分を武さんが作ることになり、ちょうどタイミングもよかったのです」と、毛利さんが振り返ります。武さんは、宮下さんが作る茶豆がとても美味しくて、自分もそんな茶豆を作れるようになりたいと思っていました。作りたい野菜や借りたい土地の希望がそのまま受け入れられ、順調に農家の暮らしを始めます。

夢を、これからも

農業に関心のある奥様も作業のお手伝い

個人で農家を営んでいた武さんは、従業員を迎え、結婚したことを機に、3年前に農業組合法人「つばさふぁーむ」を設立しました。「つばさ」は愛犬の名前です。パートさんとインドネシアから来ている農業研修生3人を含め、総勢10人が働いています。

約8ヘクタールの畑で作る作物は、茶豆、ブロッコリー、カキナです。「毎年トラブルがあり、満足してできた年はありません」と、就農後10年を迎えた武さん。「あの時あんな対策をしておけばと、後悔することばかりです。でもその積み重ねによって栽培が上手になり、今があるのかなと思います」。今年は、従業員の田村友之さんがけがをして、作業ができなくなりました。「頼りにしていたので大きな痛手ですが、メンバーと共に、なんとか収穫量が減らないように生産を続けることができています。それも一つの成長かなと考えると、自信につながります」と、自分たちの仕事に手ごたえを感じています。

「それにしても近年の気候変動は大きいです」と武さん。みなかみ町には、借りることができる土地がまだ十分にありますが、今のところ栽培面積を広げようとは考えていないと言います。「耕作地を広げるよりも、天候不順などに対して臨機応変に対応できる環境にしておきたいからです」と、安定した生産を目指しています。

つばさふぁーむは、武さんが生まれ育った沼田市の近くにあり、友達や親、親戚が身近にいます。7月末、茶豆を収穫している畑からは、赤城山方面を眺めることができ、その麓では仲間である野菜くらぶのメンバーも農作業に励んでいます。かたわらでは、妻の由美子さんが経理を担当し、武さんの農業を支えています。「彼女とは、つばさふぁーむの運営も、農作業の組み立ても、3歳と、まだ9ヶ月の子どもたちの子育ても全部、むちゃくちゃ相談しますよ」と武さん。農業を仕事にするという、一度もぶれずにかなえた夢を、これから周りの人たちとどんな風に彩り、大きくふくらませていこうかと考えるのが、楽しみでもあります。


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